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達人インタビュー
文楽人形細工師・菱田雅之さん

生まれながらに、劇場と人形浄瑠璃に囲まれて。

「もともと、大阪は人形の街やったんですよ」。こう話すのは、文楽人形細工師の菱田雅之さん。祖父、父に人形細工師を持ち、自身は名人4代目大江巳之助に師事。現在は奈良と東大阪市に工房を構え、教室も開講されています。伺ったのは、その東大阪の一角にある工房。ノミやキリなどの使い込んだ道具、素材となるヒノキが並べられていました。そして、菱田さんが人生の半分以上を制作に捧げ、命を吹き込んでいる人形の頭(かしら)の数々。広い劇場と比べると、全長20cmにも満たない頭は一見小さく見えますが、彼らこそが約400年に渡り浄瑠璃を演じてきた、"名役者"たちなのです。

まず、「文楽人形」とは人形浄瑠璃に使われる人形のこと。始まりは16世紀末の京都にさかのぼり、18世紀頃に大阪で文化が花開きます。特に、大阪では名浄瑠璃太夫の竹本義太夫が「竹本座」を立ち上げ、稀代の浄瑠璃作家、近松門左衛門の戯曲を次々と公演したことから一大ブームに。明治時代には九条に「文楽座」が誕生し、この劇場名の名残から、文楽といえば人形浄瑠璃を指し、文楽人形という言葉も生まれました。菱田さんは、その「文楽座」が道頓堀に移築してできた「朝日座」で幼少時代を過ごしていたそうです。

「人形細工師やった祖父や親父に連れられて、2歳くらいから毎日のように遊んでいました。人間国宝と呼ばれている達人の楽屋にも日常的に出入りしていて、チャンバラごっこで遊んでもらったり、松竹座に出かけて藤山完美さんのお芝居や歌舞伎を見たりね。物心がついたときから、そんな環境やったんです。」


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"動物園の猿は、猿やない"師匠大江巳之助のもとで修行。

そんな菱田さんが名人4代目大江巳之助氏に師事したのは、高校卒業後のこと。しかし、まだ若い青年には過酷な経験だったそう。「テレビはダメ、酒やタバコなんてもちろんダメ。外出もろくにせず、人形を作ることだけに集中する日々でした。一時は、半年くらい工房にこもり、ひたすらに彫り続けていたのですが、だんだん精神がおかしくなるんですね。ふと気づけば3日くらい経っていて、その間意識がまったくないということもありました」。

師匠に厳しく叩き込まれたのは、制作技術だけではなく人形に命を吹き込むことの大切さ。それを、菱田さんは「性根(しょうね)を彫り込む」と表現します。「あるとき、動物園の猿を見に行ったんですよ。じゃあ、「あんな、のんびりと毛づくろいしている猿は猿やない。石、投げてみ」と。猿には牙があって、本来は獰猛(どうもう)な動物なんですよ。そういう本質的なキャラクターを「性根」といい、それが人形の真髄だということです。私たち作る側がどれだけ性根を理解し、思いを馳せながら彫れるかどうかが勝負なんです」。


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