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達人インタビュー
安藤 徹哉助教授

時代ごとにカタチを変えてきた沖縄の街。

「沖縄らしさというのは、それをどの時点で捉えるかというのが非常に難しい問題のひとつでもあると思うんです。例えば沖縄というと赤瓦といわれますけれども、赤瓦を庶民が使えるようになったのは明治以降になってからで、それ以前はどんなだったのか。その時点、その時点ごとに沖縄らしさは違ってくると思うんです」。

安藤先生のお話によれば、沖縄の集落には大きく捉えて4つの流れがあるそうです。まず、自然発生的に誕生した昔ながらの集落があり、その後、17世紀頃、琉球王朝で活躍していた蔡温(さいおん)という役人によって、風水を取り入れた宅地割が実施されました。これにより、沖縄の集落景観は大きく変わり、家に入るには道の南側から入るという決まりごとまで作られていたそうです。以降、この形態が長く続くのですが、戦争によって失われ、終戦以降から本土へ復帰するまでの間は、蔡温の型を踏襲した区画割が琉球政府によって実践されます。復帰した沖縄は、今度は本土の区画整理法の管轄になり、現在のような日本型区画になったそうです。

「日本型というのは一本おきに道路があるんですね。敷地が背中合わせになっていて、南から入る敷地と北から入る敷地が同数できるという風に。これに対して沖縄の人は敷地に入る時は南から入るものだというのが風習的に根強くあって、北向きの家は売れにくいという地域事情が現在もあります。特に高額商品であればあるほど、その傾向が強くなるようです」と安藤先生。竹富島などの伝統集落では、いまもその習慣が色濃く残っていていて、南側からしかアプローチできない住宅も多いようです。



白っぽい沖縄の街に、新しい色が入ってきた。

こうした沖縄の変遷を色という視点で捉えてみると、最近また新しい傾向が見られるようになってきたそうです。「琉球時代というのは、濃い緑に囲まれながら赤瓦の赤色がちょっとアクセント的にあったりするという、中国の影響を受けた色調でした。それに対して戦後は、アメリカに対する憧れというのが強く、その憧れの米軍住宅がフラットルーフで白いペンキの住宅だった。基地のなかの工事も沖縄の業者がやっていましたから、今度は一般の住宅にもその技術をあてはめた。それで白い箱型の住宅が基地の外にも増え、街全体がちょっと白っぽい景観になっていったんです」。

そしていま、昔はみられなかった濃いグレー系の色が、街なかでポツリポツリと見られるようになってきたと安藤先生は指摘します。大手住宅メーカーが販売する戸建て住宅に、チャコールグレーの屋根瓦が使われているためで、沖縄の白っぽい街なかにチャコールグレーが入ってくると、それだけで景観がガラッと変わってしまうのだそうです。
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