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連載記事 風土を旅する 第四回 九州 淡色(あわいろ)の残る、静謐(せいひつ)の街へ雄大な海と山に抱かれ、古くから豊かな自然の恵みを受けてきた九州地方。そんな美しい風土の中で、どのような独自の文化や風習が生まれたのでしょうか。

写真 水面が美しく輝く水の郷へ。静かに息づく、淡く茜色の伝統工芸。

江戸時代より柳川藩を治める立花氏が治めた城下町・福岡県柳川市。別名「舞鶴城」と呼ばれた柳川城は、まるで鶴が空を舞うように美しいシルエットだったという。現在はその姿を確かめることはできないが、街並みは先人によって形づくられたまま。その知恵を最も表すものが、柳川の象徴とも言える「水郷」だ。水郷はかつて「掘割」と呼ばれた農業用水路で、低湿地帯を開墾し農地を開発した際に発達したもの。現在、柳川市の観光資産となっている川下りも、先人の生活文化レベルの高さがもたらした恩恵だとも捉えられる。

残暑厳しい九月の訪れだったが、水際はやや涼しく小船が緩やかに水面を揺らす様は、まるで中国内陸の風景のようだ。聞けば、この時期は夕暮れ時に「納涼船」と呼ばれる船が水郷を巡り、中秋の名月の頃になると「観月船」の灯りがゆらゆらと水面を漂うのだとか。なるほど、四季折々の風情を魅せる柳川の街は、まさに日本の風土と呼ぶにふさわしい。

幾つもの水郷に架かる橋を渡りながら、私達が訪れたのは、柳川市の伝統工芸の一つである「柳川まり」を四十余年作り続ける北島妙さん宅。「手まり」は伝統的な玩具だが、柳川まりは他の地域とは少し違った特色を持ち、その中でも北島さんたった一人しか作っていない柳川まりがあるのだという。その稀少な作品の話は「達人インタビュー」で綴ることにし、ここでは柳川に今も残る風習について触れていくこととしよう。

手まりは、城下町に暮らす腰元が嗜みの一つとして作っていたことから始まる。柳川もまた、彼女達が草木で染めた淡い七色の糸を使って手まりを作っていたことから、その風習は後世にまで伝承され、貴重な特産民芸品として福岡県の指定を受けている。時代の流れと共に色褪せることの多い伝統工芸品だが、柳川まりは今もなお地元の生活に深く根付いた文化。特に、桃の節句の時季には雛壇の前に手まりをあしらった飾り物を付け、女児の健やかな成長を祈るそうだ。

九州を代表する春の風物詩として知られる一方、柳川まりは決して桃の節句の時季のみに箪笥から顔を出すものではない。入学祝いや、卒業祝い、退院祝い、引越祝い、還暦祝いなど、生活の中にある祝い事の度に柳川まりを知人友人へ贈る慣習があるのだとか。こうした話は柳川に生活する人と直接話さなければ知り得ない事実。私達が想像した以上に、柳川まりと人々との繋がりは、現在も強く紡がれているようだ。

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